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杉戸宿まち歩き【4】後編
宿場の中心、格式ある本陣などが軒を連ねた
「中町」後編
1616 年の江戸時代に存在した杉戸宿は、下の図のような構成で成り立っていました。ここでは「中町」の現代の様子(後編)をご紹介します。
杉戸宿の構成について詳しく知りたい方は、「杉戸宿まち歩き【1】:宿場の構成図」または「杉戸宿まち歩きブック」をご覧ください。
伊勢長(いせちょう) 跡/伊勢屋長兵衛(いせやちょうべえ) 邸
鎮守・愛宕神社の参道に建つ小林質店は、かつては「伊勢長」と呼ばれる造り酒屋でした。1852(嘉永5)年に建てられた、蔵造りの古民家が江戸のまち並みを近年まで伝えていました。しかし、残念ながら東日本大震災で崩れ、安全確保のため、姿を消しています。表には駒寄という馬を繋ぐための格子囲いがありました。
【写真】2011 年の東日本大震災までは姿を残していた伊勢長跡の外観
伊勢長は、初代伊勢屋長兵衛(1783 /天明3 年没)が酒造を目的に、はるか伊勢の小林村(現三重県伊勢市)から杉戸の地へ移り住み、創業したと伝えられています。「長兵衛」は代々襲名され、『酒造株高書上帳』(1803 /享和3 年)といった史料の中に名が記されています。
杜氏(とうじ)は越後(えちご)杜氏、水は井戸水を使用していました。伊勢屋の井戸水は良質で、他の酒造店にも分けていたといいます。
酒造店は明治20 年代に店を閉じました。その後、杉戸郵便局、小林質店と移り変わり、後継が家を守っています。
【 小林質店 】
所在地:杉戸町杉戸4-3-1 / TEL:0480-33-3000
※写真の古民家は現在解体されており、個人宅のため敷地内は一般公開をしておりません
漢方医 虎屋(とらや)跡/ 内山周文(うちやま・しゅうぶん)邸
虎屋善蔵(とらや・ぜんぞう=内山周文)は杉戸宿の漢方医のひとりでした。その後を継ぐものも昭和期までを診療医として地域医療を担っていました。屋号「虎屋」は、そのまま薬局に名を伝えています。善蔵には、当時杉戸で流行していた俳諧のたしなみがありました。
『多少庵俳檀史(たしょうあんはいだんし)』には、善蔵について「内山小蓑(うちやま・こみの)通称は善蔵杉戸の人なり、有名なる小児科の医家にて家号を虎屋」、「医才は神に通じ」、「小児の疳(かん)は虎屋の門をくぐれば診を請けおはざるも全治す」などと記され杉戸の信頼される名医であったことが分かります。
また、善蔵は岩槻藩士・教育者・儒学者である児玉南柯(こだまなんか)との親交がありました。1796(寛政8)年には、善蔵は南柯を家に招いて講義を受け、以降も親しい付き合いが続きます。1809(文化6)年に起きた、杉戸宿中町から新町にかけての大火の際には、翌日すぐに南柯が杉戸まで見舞いに来ており、2 人の親睦の深さを思わせます。
【写真】昭和30 年の駅前通りの様子。突き当たり正面に当時の「トラヤ薬局」があり、国道へ抜ける道はまだ無なかった。(資料提供:高橋写真館)
【 有限会社とらや薬局 】
埼玉県北葛飾郡杉戸町杉戸2丁目14-9
たいむ・とりっぷ
■旧杉戸駅前通り(写真:上)
1899(明治32)年に東武鉄道が開通し、杉戸駅ができました。
翌年に、杉戸町から駅までの道路「停車場通り」と橋がつくられました。通りには桜が植えられ、桜のトンネルとして名所となりました。戦時中に伐採されましたが、美しさは当時を知る人びとから語り継がれています。
■杉戸駅(現東武動物公園駅/写真:下)
杉戸駅は、現在の東武動物公園駅の前身です。開設時は北千住駅から久喜駅まで鉄道が開通し、その区間に西新井・草加・越谷・粕壁・杉戸の各駅ができました。
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※本ポケットブックは、杉戸町観光案内所、杉戸町観光協会、杉戸町役場産業振興課の窓口等にて配布しております。
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