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杉戸宿まち歩き【5】
問屋場が置かれた宿場の要どころ
「下町」編
1616 年の江戸時代に存在した杉戸宿は、下の図のような構成で成り立っていました。ここでは「下町」の現代の様子をご紹介します。
杉戸宿の構成について詳しく知りたい方は、「杉戸宿まち歩き【1】:宿場の構成図」または「杉戸宿まち歩きブック」をご覧ください。
明治天皇御小休所阯(めいじてんのう・ごしょうきゅうじょ・し)
問屋場跡(現・三井住友信託銀行前)では「明治天皇御小休所阯」という石碑を見ることができます。1876(明治9)年に県区務所が置かれ、陛下が東北巡幸に際し、ここで休憩をとったことを記す碑です。
【写真】
左:昭和40 年代の通りの様子(「本陣跡地前」交差点付近)
中:左写真の現代の様子
右:銀行前に移設された碑
【 明治天皇御小休所阯】
所在地:杉戸町杉戸2-13-12
三井住友信託銀行 杉戸支店前
問屋場(といやば)跡
問屋場は、旅人の荷物の輸送と宿泊場所の調整を行う、重要かつ責任ある役割を担っていました。
主な役職として、問屋(人馬を取り仕切る監督職)と年寄(問屋を補佐する役職)、張付(出納や事柄を帳面に書き付ける役職)、馬差(馬の用立てや運輸の指図する役職)などが詰めていました。
問屋場には、大名や幕府役人、日光門主といった特別な身分の者が通行する際に、先触れという書類が事前に届きます。ここでまず詳細を把握します。
そして、主より先に宿場に入る家臣が、問屋場にて本陣役や旅籠組合の惣代と宿手配の打ち合わせをします。また、荷を輸送するための人足と馬の調整は、問屋が助郷会所と連絡を取り合い、行いました。
問屋場の跡地には、県の第六区区務所や渡勝商店(下記:たいむとりっぷ参照)、現在の銀行など、まちの重要な施設や店が入れ替り設けられ、今日に至ります。
【絵図】問屋場での人足と馬の交代の様子( 藤枝宿:人馬継立画/歌川広重 )
伊奈稲荷神社(いないなりじんじゃ)
伊奈稲荷神社は、かつての杉戸宿問屋場の裏に位置することから、「問屋場稲荷」と呼ばれ地域に根ざしています。
神社は、当時の花柳界の人たちから深く信仰されていました。
本殿に見られる鰐口に、下町で働く20 名の女人衆世話人の名が刻書されていることからも、そのことがうかがえます。宿場の真ん中にあり、まさに、身近な神様として、親しまれていたのでしょう。
【写真】左:お稲荷様の祀られる本殿 / 右:名の刻まれた(銅口)
【 伊奈稲荷神 】
所在地:杉戸町杉戸2-13
旅籠屋/ 釘屋(はたごや/くぎや)跡
杉戸宿の旅籠屋のようすを活きいきと今に伝えるのが、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)による滑稽本(滑稽本)『奥羽一覧道中膝栗毛(おうういちらんどうちゅうひざくりげ)』です。作中には、杉戸宿に実際にあった旅籠屋の釘屋と主の嘉右衛門(かえもん)が出てきます。
物語では、延高(のぶたか)と筑羅房(ちくらぼう)、弥次郎兵衛(やじろべえ)、喜多八(きたはち)一行の、釘屋に泊まった時のようすが描かれています。簡潔にくだりを説明すると次のようになります。
“旅籠に着くと桶で足を洗い、奥に通され茶をもらう。主の女房らと話をした後、弥次郎兵衛は娼妓(しょうぎ)4 人を呼ぶよう頼み、その内のひとりは河内屋のお駒を、とも伝える。大酒を飲み、料理は江戸の名店にも引けを取らないほど豪華。”
他にも杉戸宿に関わる内容がこの本には書かれています。釘屋や河内屋は実在し、内容もあまりに詳細に描写されていることから、十返舎一九は、実際に杉戸宿の釘屋で過ごしたことがあることと考えられます。
【写真】左:『奥羽一覧道中膝栗毛(おうういちらんどうちゅうひざくりげ)』に描かれた釘屋 /右:釘屋が掲載された『諸国道中商人鑑(しょこくどうちゅうあきんどかがみ)』
たいむ・とりっぷ
■渡勝商店(わたかつ・しょうてん )跡
問屋場跡地に店を構えた「渡勝商店」は杉戸の有力者・渡辺氏が営む油・砂糖の卸小売業店でした。1959(昭和34)年に氏が土地を提供し、商店脇から現国道へ抜ける道が作られ、交通の便が向上します。他に、商工会会長を務めたりなど、まちの発展に力を注いでこられました。
【写真】レトロな魅力がいっぱいの看板と当時の店頭
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※本ポケットブックは、杉戸町観光案内所、杉戸町観光協会、杉戸町役場産業振興課の窓口等にて配布しております。
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