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夢を諦めなかった20歳の新人競輪選手

20歳で競輪選手としてデビューした、杉戸町本郷在住の山下季秦(やました・きしん)さん。幼い頃から水泳に打ち込み、全国大会を目指して泳ぎ続けてきた彼の人生は、コロナ禍で大きく揺れ動いた。目標を失いかけたその時、偶然出会ったロードバイクが新たな道を切り開く。自分の力だけで遠くへ行ける自由さに魅了され、高校では自転車競技部へ。厳しい練習と仲間との切磋琢磨を経て、競輪選手という夢をつかみ取った。挫折と挑戦を繰り返しながら前へ進み続けた若き選手の軌跡と、未来への思いに迫る。
■Profile
名前:山下 季秦(やました きしん)
生年月日:2005年10月12日(20歳)
出身・在住:杉戸町本郷
身長:167cm 血液型:O型
■経歴
杉戸町立杉戸第3小学校卒業~春日部市立春日部中学校卒業~埼玉県立大宮工業高等学校卒業~日本競輪選手養成所卒業
■自転車競技戦歴
令和4年:選抜1Kmtt 8位 / 学校総合2位
第70回秩父宮杯埼玉県自転車道路競走大会 第3位
令和5年:インターハイ チームスプリント4位
国民スポーツ大会(かごしま国体)出場
令和8年5月:松山競輪場 デビュー戦
7月:岸和田競輪場3日目最終日 初勝利(1着)
「競輪」は、1948年に小倉競輪場で始まった日本の公営自転車競技で、現在は全国43か所の競輪場で開催されている。自転車競技法に基づき地方自治体が主催し、約2,400名の選手が登録するスピードと駆け引きのプロスポーツだ。競輪選手になるには、日本競輪選手養成所へ入所し、約1年間の厳しい訓練を経て国家試験(競輪選手資格検定)に合格する必要がある。満17歳以上で国内在住なら、性別や競技経験を問わず挑戦でき、努力次第でプロの道が開ける職業である。
Prologue:水泳少年が“自転車”に出会った日
埼玉県杉戸町出身の山下季秦選手(129期・大宮競輪場)。幼い頃から中学卒業まで水泳一筋。選手コースで全国大会を目指して泳ぎ続けてきた。しかし、コロナ禍で全国大会が中止。積み重ねてきた努力の行き場を失い、目標を見失いかけた時期があったという。そんな彼の人生を変えたのが、ロードバイクとの出会いだった。
「自分の力だけで遠くまで行ける。あの感覚が本当に楽しくて、夢中になりました。」
その“楽しさ”が、競輪選手への道へとつながっていく。
深掘りインタビュー
Q 生まれ育った杉戸町で、印象に残っている思い出や、お気に入りの場所はありますか?
小・中学校時代は春日部中央スイミングスクールの選手コースで週6日練習し、日曜日は大会でした。高校生では大宮工業高校の自転車部で、平日はジムトレーニングと街道練習、休日は大会と、遊べる時間が少なかったため、杉戸の夏祭りに行けた時のことが思い出です。
Q 長年続けた水泳は、競輪選手としてどんな強みになっているのか?
練習の厳しさに耐えてきた忍耐力、競技に欠かせない肺活量と持久力が身につきました。当時は風邪をひいたり熱があっても休ませてもらえなかったので(笑)。スポーツ競技者として自己管理が大切だということも教わりました。
Kick Off:ロードバイクで開けた新しい世界
高校進学では、自転車競技部のある埼玉県立大宮工業高校を選択。自宅から学校までロードバイクで1時間以上かけて通学し、平日は秩父の山までロード練習。休日は大宮競輪場でバンク練習。夏と冬にはハードな合宿があり、渋峠までの“自走”は特にきつかったという。
「でも、顧問の先生や外部コーチ、仲間たちと一緒だったから頑張れました。そのおかげで高校1年生から全国大会に出場できたんです。」
努力は確実に実を結び、競技者としての自信が芽生えていった。


深掘りインタビュー
Q 秩父の山練習、渋峠の夏合宿への自走など、最も印象に残る“壁”とは?
1年生の初めての夏合宿で、渋峠まで20kmほどの上り坂が何箇所もあり、埼玉から自走だったので、それが一番つらかったです。その経験があったおかげで、その後の練習では峠練習後に部活仲間とディズニーランドまで280kmほどロードバイクで走ったこともあります(笑)。
Progress:競輪選手を目指す決意と、最初の挫折
競輪選手を目指すきっかけは、高校時代の外部コーチからの一言だった。
「競輪選手を目指してみないか?」
その言葉に背中を押され、大学進学ではなく日本競輪選手養成所への入所を決意。しかし、最初の試験は不合格。同期が合格していく中で、悔しさと焦りが募った。
「でも、夢を諦めたくなかった。足りない部分を見つめ直して練習を積みました。」
そして迎えた2回目の試験。見事に合格を勝ち取り、夢への扉が開いた。
深掘りインタビュー
Q 競輪という競技を“職業”として意識したのはいつだったのか?
高校2年生の時、現在の師匠である飯田威文選手(当時は外部コーチ)から「競輪選手を目指してみないか」と声をかけていただきました。もともと体を使う仕事を考えていたので、自分なりに競輪選手になるにはどうすればいいか調べ、大学進学も考えていましたが、目指すならすぐに日本競輪養成所の試験を受けようと気持ちが固まりました。
Breakaway:養成所での1年間、そしてプロデビューへ
養成所では、厳しい訓練と規律の中で1年間を過ごす。技術だけでなく、競輪選手としての心構えや生活態度まで徹底的に鍛えられた。
「苦しいことも多かったけど、仲間と支え合いながら乗り越えました。合格した瞬間の喜びは、今でも鮮明に覚えています。」
そして2026年、ついにプロデビュー。大宮競輪場をホームバンクに、第一歩を踏み出した。


深掘りインタビュー
Q 1年間の厳しい訓練で、どんな考え方が身についたのか?
やはり時間厳守と厳しいルールです。5月に入所して3月卒業まで、朝から就寝までみっちりスケジュールが組まれており、携帯電話も使えず、外出もたまにしか許可が出ませんから、環境に慣れるまでは時間がかかりました。
競輪は公営競技であり、多くのお客様やファンの皆様に支えられて成り立つプロスポーツです。選手は車券に応えられるよう全力で走り、時には落車による怪我を負うこともある厳しい競技です。
こうした環境の中で、競技に臨むための規律やルールの重要性を強く理解するようになりました。
Q 激しいレースの合間の貴重なオフの日に、杉戸町内でリフレッシュのために立ち寄るスポットや、おすすめの過ごし方はありますか?
オフの日は、都内や近場で買い物や食事に友達と出かけたり、トレーニング後には競輪選手の仲間や友達と雅楽の湯で温泉とサウナに入りリフレッシュしています。普段は食事管理をしているので、ご褒美の時にストロベリーショートケーキさんのケーキとプリンを食べることが幸せです。
Q 競輪選手としてデビューしたことで、同級生や地元の方々から声をかけられることはありますか?その中で、嬉しかった言葉や、印象的な交流はありますか?
二十歳の集いは日本競輪養成所にいたため参加できず、卒業後もデビュー準備で忙しく地元の友達にあまり会えていませんでしたが、LINEやInstagramなどで「おめでとう」と言ってもらえたことが素直に嬉しかったです。
養成所卒業後には、母校である杉戸第三小学校に出向き、関口校長先生に挨拶と報告をしてきました。また、杉戸小学校にも出向き、当時(杉戸第三小学校)の6年生の担任だった山崎先生にも報告をしてきました。
ご近所さんからも「すごいね、おめでとう」と言っていただき、親戚には横断幕まで作ってもらい、とても嬉しかったです。
地元の (株)杉戸自動車さん、新井石油さん、杉戸第三小学校にはブロマイドを飾っていただき、ストロベリーショートケーキさん、栄華さんにはブロマイドとともにスポーツタオルも飾っていただいております。
Finish Line:夢を探している子どもたちへ
最後に、山下選手は未来を担う子どもたちへメッセージを送ってくれた。
「夢が見つからない人、挫折した人。僕もその一人でした。でも競輪に出会って人生が変わりました。競輪選手には、元プロ野球選手、Jリーガー、スキー、スケート、陸上、水泳、会社員、公務員…いろんな経歴の人がいます。年齢制限もほとんどありません。努力を続ければ、夢は叶えられる職業です。自分の人生は、自分で掴み取ってほしい。デビュー戦は終わりましたが、これからもっと強くなります。応援よろしくお願いします。」

深掘りインタビュー
Q 短期的・長期的にどんな選手を目指しているのか?
短期的には、2年後にS級選手になることです。長期的には、競輪選手なら誰もが憧れる『KEIRINグランプリ(GP)』に出場し、いつか優勝できる選手になることです。そのために焦らず日々努力し、お客様やファンから応援していただける選手になりますので、競輪場に観戦しに来ていただき、熱い声援をよろしくお願いいたします。
地元の杉戸町在住・出身の方達からの応援も嬉しいので、よろしくお願いいたします。






