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28年前(1993年)の全国高等学校ラグビーフットボール大会<外部リンク>(第73回大会)。國學院大學栃木高等学校<外部リンク>(以下、國栃という)は吉岡肇監督の指導の下、栃木県代表として全国大会初出場を果たした。それ以降、全国大会出場27回の常連校となったが、ベスト8の壁は高かった(第91回大会のみベスト8進出)。しかし、その経験と実績により、日本代表選手を輩出するなど、日本ラグビー界の一翼を担っている。
そして、2022年新春、第101回大会にて、國栃が創部以来の快挙であるベスト4進出を成し遂げた。さらに決勝戦にも進出し、初の全国制覇を目前にしていた。
2022年1月8日(日曜日)、花園ラグビー場(大阪府)での全国大会決勝。國栃は「東海大学付属大阪仰星(大阪第二)」と対戦し、結果は5対36で惜敗。全国制覇の夢は破れたが、選手たちは皆、今大会で悲願のベスト4進出を成し遂げ(最終戦績:準優勝)、更なる強敵に出会うことで、新たな目標を掲げるに至っている。
今回、國栃ラグビー部OB 小野田裕之 氏(國栃全国大会初出場時選手)の長男であり、杉戸中学校出身で國栃ラグビー部(ポジション:ナンバーエイト)として花園(決勝)の舞台に立った3年生 小野田 輝平 選手へのインタビューを紹介する。
年長(5歳)の頃、千葉県のラグビースクール(市川ラグビー少年団りとるキング)の体験教室に参加しました。初めは興味が薄かったようですが、練習試合で、父親の指示通りプレーしたら活躍できたことで、楽しくなったのを憶えています。
小学生になって杉戸町に引っ越してからも、小学6年間、同チームに所属し、両親に送迎してもらって、週末は練習に参加していました。
中学時代(ワセダクラブ所属)は、フルバック※やセンター※、高校では、センターやフランカー※、ナンバーエイト※のポジションを経験しました。
※フルバック【背番号12(中学)、背番号15】攻撃にも参加する最後の砦。責任感と大胆さを併せ持つ。
※センター【背番号9・10(中学)、背番号12・13】タフで勇気ある切り込み隊長。フィジカルの強さと正確なスキルが必要。
※フランカー【背番号6・7】ボール争奪戦の主力を担う。力強く速いボールの狩人。
※ナンバーエイト【背番号8】FW最後尾に控えるスーパーマン、通称「エイトマン」。FWに的確な指示を送るリーダーの役割。
身体を動かすことが好きです。中学時代には柔道もやっていました。
父親が國栃ラグビー部OBで、全国大会初出場(ベスト16)を成し遂げたと聞いています。
父親がラグビーをしていなかったら、自分もラグビーをしていないかもしれません。また、國栃にも進学していなかったかもしれません。
武井日向選手(國栃ラグビー部OB/リコーブラックラムズ東京所属のフッカー※)です。武井選手は小柄ですが、立ち向かう勇気・突進力にあこがれています。
※フッカー【背番号2】セットプレーを操る要の役割。パワーと器用さを兼ね備える。
「ぶるな らしく」です。これは、國栃ラグビー部の吉岡肇監督が日頃仰っている言葉で、「偉ぶるな 自分らしく」というように、謙虚な姿勢で今持っている力を出し切りなさい…との教訓と受け止めています。
高校進学時に右肩脱臼手術で半年間、さらに、高校2年の夏には左肩脱臼手術で半年間、合計で1年間におよびリハビリの生活を送りました。仲間たちが試合や大会に出る中、もどかしさは感じましたが、國栃ラグビー部メディカルトレーナーの加納秀久さんらに、戦線に戻るまでのトレーニングをしていただきました。そして、治療中の自分にできることを見つけて、モチベーションを保つことができました。
練習試合や公式戦で、試合終了後、勝ち負けに関わらず、全力出し切った、楽しかった…と思えるようなプレーを意識しています。
今まで怪我で普段の自分の力が出せない時もありました。不慣れなポジションで思うようにいかないこともありました。しかし、その時点での「全力で臨む」ことが最善であると思っています。
花園での準々決勝「長崎北陽台高校(長崎)」との試合です。途中まで10対7でいつ逆転されてもおかしくない中、後半25分、自分のインターセプト※をきかっけに得点することができました。そして、結果的に17対7で國栃悲願のベスト4進出を果たすことができました。
父親が部員だった第73回全国大会初出場の際はベスト16だったと聞いていましたので、國栃と父親の悲願を達成できたと感じています。
※インターセプト 相手選手のパスをカットすること。
國栃として全国大会には連続出場していたものの、自分が花園のピッチに立つのは今回が初めてでした。ベスト16までは無観客試合、ベスト8からは有観客試合となり、歓声や雰囲気が今まで経験してきた中で一番しびれました。そして、試合がとても短く感じました。
大学進学後もラグビーを続けていきたいです。また、将来的には、國栃ラグビー部吉岡肇監督のように、高校の保健体育教師になり、後進へのラグビー指導も行いたいです。
西小学校高学年時の担任だった宮川先生(現 杉戸小学校教頭)や、杉戸中学校で3年間体育の授業でお世話になった柿沼先生(現 杉戸町教育委員会学校教育課指導主事)に感謝しています。
これから社会に出るにあたっての厳しさや難しさ、気を付けるべきことなどについて、自分たちに分かりやすく、心に響く形で教えていただきました。その指導があって、今の自分があると思っています。
高校生活はあっという間の3年間です。たった一度しかない高校生活を悔いのないよう過ごしてください。そして、どのような大会でも、國栃ラグビー部を最高(一番)のチームにしてほしいです。
ご飯をたくさん食べて、よく眠り、思いっきり遊んで、健康で強い身体を作ってください。勉強をすると可能性が広がり、自分の夢実現の近道になると思います。遊ぶことも大事ですが、勉強との両立をしながら頑張ってください。
沢山の応援をいただき、ありがとうございました。花園ラグビー場での決勝の舞台に立った経験を今後の人生に活かしていきます。
(2022年2月 役場にて)
人生の大半をラグビーに打ち込んできた小野田選手。親の背中を追いかけ、恩師へ感謝し、後進の目標になろうとする姿勢が印象的でした。今後の小野田選手のご活躍を期待するとともに、誰かにとっての道標として、煌めき続けることを願っています。杉戸町はこれからも「煌めく人」を応援します!