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店の看板メニューを支える原点のフライパン
2020年9月
食彩工房いこい
小野 隆男さん
「杉戸の職人」と聞いて、何人の顔が思い浮かぶだろう。よく行く店の店主や取引先など、私たちが日常的に関わることのできる仕事相手は、実はそれほど多くない。けれど、町をつくっているのはまぎれもなく人であり、もっと言えば誰かの仕事だ。代々受け継がれてきた技術、町の産業に着目して立ち上がったブランド、「地元で独立したい」と起業した人々̶。知れば思わず自慢したくなる、この町の仕事人たちを紹介しよう。
私の相棒
店の看板メニューを支える原点のフライパン
元フレンチシェフの小野隆男さんは、料理人人生の大半をこの鉄製のフライパンと一緒に過ごしてきた。
昭和から平成を越えて、令和まで。フライパンは時代の波を共に乗り越えた、まさに相棒だ。
大衆食堂で食べる本格ステーキ
瓶ビールの入った冷蔵庫に、使い込まれた木製のテーブル。柱には「カラオケ一曲100 円」の張り紙。店内はまるで昭和の酒場のよう。それもそのはず。こちらの以前の店名は「大衆酒蔵いこい」。内装はそのままに、現在は定食屋として営業している。
人気メニューは熱々の鉄板でいただくステーキ定食だ。美味しさの秘密は、ずばり肉。使っているのはオーストラリア産のサーロインで、まわりの余分な肉を除いた中心部分だけ。スジや脂身が取り除かれた肉はやわらかくて、甘みがある。思っていたよりあっさり食べられると、普段ステーキを食べない女性や年配のお客さんにも好評だという。そもそもこのステーキ定食、取り寄せた肉の品質が良かったことから始めたメニューなんだとか。
なるほど、美味しくないわけがない。ご飯と味噌汁、お新香、アイスコーヒーがついて950 円。昭和57 年の開店以来、値上げはしていない。
店主の小野隆男さんは元フレンチシェフで、料理人歴およそ60 年。そのうちの半分以上を共に歩んできたのが、独立したときに購入した鉄製のフライパンだ。仕込みの玉ねぎを炒めたり、ソースを作ったり、ハンバーグを焼いたり。鉄のフライパンは、洋食メニューを作るのに欠かせない道具なんだそう。
作務衣姿の洋食シェフ
東京でフレンチの修行を積んだ小野さんが自分の店を持ったのは29 歳のとき。時代は高度経済成長の真っ只中で、外食産業も変わりつつあった。
昭和45 年に「すかいらーく」1 号店が誕生。日本初のファミリーレストランは大盛況で、個人店では太刀打ちできない状況に。昭和48 年から49 年にかけては第一次オイルショックで物価が高騰。激動のなか、小野さんは店を続けるためにある決断をする。レストランを閉店し、大衆食堂を開くことにしたのだ。
業種を変えたことで店は生き残ったが、毎日使い続けてきたフライパンは出番がすっかりなくなってしまった。とはいえ、手放す気にはなれない。
小野さんは愛用のフライパンを棚の奥にしまい込んだ。処分しなかったのは、「またいつか使えたら」という気持ちがどこかにあったから。慣れ親しんだ洋食のメニューは、そう簡単に忘れられるものではなかったみたいだ。
その後人づてに紹介してもらったのが、日光御成街道沿いの現在の場所。店になる前は畑だったそう。まっさらな場所で「いこい」を始めて38 年。
小野さんの作る洋食を味わいたいと、メニューにない料理を頼む常連客もいるんだとか。「たまに言われるのは、オムライスとかシチュー。手ごねのハンバーグなんかは久しぶりに作ると楽しいね。仕込みがあるから事前に相談してもらえたら」。材料さえあればすぐにでも作れる。そんな余裕が感じられる。小野さんは作務衣姿だったけれど、洋食作りが体に染み込んだ紛れもないシェフなんだなあと実感したのだった。
【写真】名物のステーキ定食。ご飯・味噌汁・お新香・アイスコーヒー付き。杉戸町カレー料理大会でグランプリを獲得した「ステーキカレー」も有名。(本文の価格は取材当時のもの)
【写真】奥様のみささんは元看護師。厨房の補助から配膳、小野さんの体調管理までしっかりサポート。優しい笑顔で包んでくれるお二人の親近感が、初めて来店した人でもほっとできてうれしい。
【食彩工房いこい 】
所在地:杉戸町下高野1-221
電話:0480-34-4977
営業時間:11:00-14:00/17:00-22:00(日によって早めの閉店もあり)
定休日:月曜日
駐車場あり(3 台)
※本サイトでは情報紙「スギトゴト」で紹介された内容の一部をWEB 用に編集して掲載しています。
2020年9月発行/発行元:杉戸町商工会/ 協力:杉戸町/ 制作:mARu design room / 文:大吉紗央里 / 写真:小塚照美