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忘れられない桜並木の美しさ。駅前開発にも人の心を潤す「花」を残したい
2024.11.28
元・大工棟梁/杉戸町行政区・区長会
会長:木村三樹男(きむら・みきお)さん
1947年杉戸町生まれ。元・大工棟梁である木村三樹男さんは、現在杉戸町行政区・区長会の会長を務めています。大工の仕事を継いだのは木村さんが18歳のとき。以来、親方でもある父親と杉戸町の街並みを見守ってきました。ご自宅の庭で育てているたくさんのバラは、地域の人たちの毎年の楽しみにもなっています。そんな木村さんに、この町の思い出や魅力、そしてこれからの杉戸町のために取り組んでいる活動について、聞きました。
Q. 杉戸町の好きな場所や景色は?
東武動物公園駅東口、駅前通りにある古川橋のあたりは、昔は宮代側も杉戸側も桜の木でいっぱいだったんです。ずーっと続く桜並木でね、ものすごい光景だった。私が6歳の時に母親は亡くなったんだけど、亡くなる1カ月前にね、父親が母親を背負って、川沿いの桜を見せに行ったんですよ。私はその後ろをぴょこぴょこついて行って。4月の初旬だったかな。当時は3月の終わり頃になると、古川(大落古利根川)に貸しボートが出たんです。あちらこちらにボートが浮かんでいて、桜は満開を超えてちょっと若葉が見えはじめる散り桜の頃で。私がこれまで見たなかで一番きれいな景色でした。
【写真】明治〜昭和初期:現在の東武動物公園駅東口・駅前通り。桜のトンネルとなっていた頃の景観
【写真】自宅の横を通っている南側用水路。暗渠になるまで、子どもの頃はよく遊んだという
こんな風に昔の景色を知っている人は、この町に思い入れがあります。例えば、ココティすぎとのシンボルツリーである大きなヒマラヤスギの木のように、なんでもかんでも壊したり取り除いたりせず、古くから地域に親しまれたものをこうして残すことも大事にしたいよね。もちろん、町が変わっていく中で、こだわり過ぎるのもよくないけどね。
【写真】杉戸の暮らしを見守ってきたヒマラヤスギが、2024年開設の「ココティすぎと」の敷地に今なお残る。
Q. 杉戸町の面白いところは?
杉戸町っていうのは、あっちこっちから人が集まってくる場所なんです。杉戸宿(江戸時代の宿場の一つ)があって、街道の高札場に群馬、茨城、栃木、千葉、東京から人がやってきた。そうすると、言葉も混ざるし、文化も混ざる。いろんな地域の特徴が混在しているんです。そこが杉戸町の面白いところですね。私なんかは方言を聞くと「お。これは栃木か。こっちは茨城だな」なんて分かりますよ。
【写真】高札場(復元):江戸時代にまちの中心や主要な街道が交錯する地点に設置されていた。木村さんは、2016年の高札場復元プロジェクトで施工にも携わっている
Q. 杉戸町で手がけた建物は?
飲み屋からお寺まで、さまざまです。宝性院(杉戸不動尊宝性院)の本堂はうちのおじいさんが、庫裏(くり:寺院の台所や僧侶の居住する場所のこと)と客殿は私が30代のとき手がけました。当時は「さらにもう10年若ければ、もっといい仕事ができたかもしれない」と思ったのを覚えています。若い頃は体力もあるけれど、それ以上に思い切りがいいでしょう。むちゃくちゃなこともできちゃうよね。若さゆえの精神的な強さを感じていたんだと思います。
【写真】宝性院:門を抜けて正面に本堂があり、右手に見える屋根が庫裏(くり)と客殿の建物
一方で、年齢を重ねる中で体得できることがあるのも確か。以前、お寺を修繕することになったので、別のお寺に視察に行ったことがあるんだ。本堂でお坊さんの説明を聞いていたら、話の流れで「ここに棟梁がいらっしゃいますけど」って私のことを指したんですよ。「どうして分かったんですか?」と聞いたら、「そういう目をしてる」と。視察を終えて、帰りのバスの中で「そうか。もしかしたら私が一人前になったということなのかな」と思いましたね。
そう感じたのは、50代半ばの時なんだけど、他の大工から見たらこんな思い上がり、恥ずかしい奴だと思われちゃうな。今思うと「一人前」なんてまだまだ遠い向こう岸だったけどね。
Q. ご自宅で育てているバラについて教えてください。
建築の材料に囲まれて育ったから、植木を持ちたいとか、花を育てたいっていう気持ちは子どもの頃からありましたね。なかでも「バラを育てたい」と明確に思ってた。なぜかって、うちに誰か女性のお客様が来るとするでしょう、その帰り際、庭からバラをちょっと切ってプレゼントできるような、そんな人生が送れたらいいなって思ったの(笑)。その夢は叶ったね、今でも花が咲く時期になると、顔なじみの家にバラを届けてます。30軒くらいあるかな。
花を育てていると、いろんな印象的な出来事があるんですよ。例えば、うちの庭のバラは歩道に面しているあたりが一番きれいに咲くんです。それは、人が見てくれるから。見て、きれいだなって褒めてくれるからだと思う。私がいれば「どうぞ、奥まで見ていって」って言えるんだけど、そうじゃないと皆さんやっぱり遠慮するから。満開のときなんか近くで見たいだろうけどね、人の敷地に勝手には入れないでしょう? だから、通りに面した入り口付近のバラが一番きれいに咲くんだね。人と同じですよ、褒められると伸びるんです。
【写真】駅前通り沿いにある木村さんのお庭。「挿木でつないで250鉢に増えた」というバラの鉢は、満開時に通りを行き交う人たちの目を惹きよせます
Q. 「花いっぱい運動」を企画したきっかけは?
今、杉戸町は駅前の開発で、道路の幅を広げているところです。整備されたときに、沿道が花でいっぱいだったらいいなっていう思いがあってね。それで、まちづくりの一環として、大通りが整備されることを見越して始めました。ただ、大変だね。一番の問題は、植えた花の世話をどうするか。それで「花の里親」という仕組みをつくって、この通り沿いで呼びかけたんです。そうしたら花が好きな人たちが集まってくれましたね。
【写真】開発途中の通りを少しでも明るくしようと「花いっぱい運動」に協力する「花の里親」のみなさん
【写真】駅前通り沿いに置かれた鉢の状態を気にかける様子
花といえば、うちの庭のバラを見て杉戸町に引っ越してきたっていう人もいました。その人は杉戸町以外にもいろんな場所を見て引っ越し先を検討していたらしいんです。それがたまたまうちの前を通ったときに、庭のバラを見て「あ、ここにしよう」「こういう場所がいい」って思ったそうです。そういう経験も「花いっぱい運動」をやろうと思ったきっかけではあるかもしれないね。通りにきれいな花が咲いているっていうのは、町の印象を変えるんだよ。
※「花いっぱい運動」とは:地域住民で構成する団体やグループなどが共同して実施する花植え活動に対し、杉戸町コミュニティづくり推進協議会が、花植えに必要な種子、苗・苗木の助成をするものです。
【写真】昭和30年:駅前通りの様子。右下に写るランニング姿の少年が当時の木村さん
【写真】生まれ育った駅前通りは、時代とともに景色を変えてきた。現在もまた変わりゆく杉戸町に携わりながら、様々な想いを馳せる
【担当】総合政策課 政策行革担当