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2021年夏、東京2020オリンピック競技大会、女子ソフトボール日本代表金メダル獲得の興奮から1年が過ぎた。
思いのほか女子ソフトボールのオリンピックでの歴史は新しく、女子のみがアトランタ五輪(1996年)から正式種目として採用され、日本代表はシドニー五輪(2000年)で銀、アテネ五輪(2004年)の銅、北京五輪(2008年)の金と合わせ、実施4大会連続でメダルを手にしたことになる。その中で、北京大会と東京大会での日本のエース上野由岐子選手の活躍と若手の成長を我々は目の当たりにした。なお、今後の期待もあったが、パリ五輪(2024年)では再び実施競技から外れることになる。
そのような中、現在、上野選手ら女子ソフトボール選手たちは、2022年にスタートした、日本女子ソフトボールリーグ機構主催のリーグ戦「JD.LEAGUE<外部リンク>」(東・西地区に分かれた16チーム)に所属し、今もなおしのぎを削っている。そして、上野選手らと同じフィールドに立ち、現在(2022年6月時点)、東地区「盗塁」ランキング2位に位置する杉戸町出身の選手をご存じだろうか。
その選手の名は小川原 結 選手(26歳)。小学校時代に杉戸町スポーツ少年団「堤根ブルービッキーズ」で少年野球を始め、中・高・大ではソフトボールに取り組み、現在、JD.LEAGUE東地区のNECプラットフォームズ女子ソフトボール部<外部リンク>(愛称:Red Falcons、拠点:静岡県掛川市、2022年現在:東地区1部リーグ)に所属している。
今回、NECプラットフォームズ女子ソフトボール部外野手(背番号7番)として、俊足を生かした走攻守でチームを牽引する小川原 結 選手へのインタビューを紹介する。
父親は宮城県の高校で甲子園出場、社会人野球も経験したと聞いています。私が小学生の頃、スポ少の少年野球チーム「堤根ブルービッキーズ」の監督をしていましたので、私の野球・ソフトボール人生は父親の影響が大いにあると思います。
父親が監督を務めていたこともあり、小学5年生の10月から、堤根ブルービッキーズに入団しました。私は性格的に強気で負けず嫌いだったので、男の子の中でも違和感なく溶け込めたと思います。
走ることは昔から好きでした。小学生の頃はそんなに速くなかったですが、中学生になり身長が伸び始めてからは速くなったと思います。
ソフトボールは中学校に入学するタイミングで始めました。当時、広島中学校にはソフトボール部が無かったので、父親が近くで通える白岡市(当時、白岡町)のクラブチームを探してくれました。そして、「白岡コスモ」というクラブチームに入団しました。
「上を目指すなら野球よりソフトボールの方が繋がるのでは」・・・という父親のアドバイスがきっかけです。
少年野球ではショートとピッチャーを経験しました。中学生になり白岡コスモに体験で行ったときもショートをやってみましたが、入団後、ショートでノックを1球受けた後、監督に「センターをやってみなさい」と言われたことをきっかけに、センターへ変更となりました。私の足の速さを知っていたからなのかどうなのか、内野より外野の方が私の持ち味を活かせるという意図があったのか・・・。いずれにしろ、それ以降今に至るまで、外野手のみでショートは一度もありません。
身体を動かすことが好きです。少年野球を始める前までは、姉と一緒にスイミングスクールに通っていました。選手コースで練習したりして、大会などにも出場し、オリンピックに出たいという夢も持っていました。
中学生の頃、上野由岐子選手(現:ビックカメラ高崎 東地区1部リーグ)と一緒に写真を撮る機会があり、その時に、すごいオーラを感じ、憧れを抱いたのを憶えています。そして今、上野選手と同じJD.LEAGUE東地区1部リーグで実際に戦っていることを思うと、自分も同じ場所に立てたのだと実感しています。
上野選手の存在は「偉大」ではあるけれど「憧れ」ではなくなりました。今、ソフトボール界に「憧れ」の人はいません。皆、ライバルとして互いに研鑽しています。
水泳の池江璃花子選手です。私も小さい頃に水泳をやっていたこともあり、とても尊敬しています。
病気になられてから、再びあの舞台に立ちたい・・・という強い気持ちで闘病し、奇跡の復活を果たした精神力は凄いことだと思います。
大学卒業後、社会人としてソフトボールをしたいと考えましたが、声のかかるチームはありませんでした。しかし、その想いは強くなるばかりだったので、私の大学卒業のタイミングで1部リーグ昇格の可能性が高いチームはないかと、大学のソフトボール部監督に相談しました。すると、当時のNECには足が速い選手が多く、足の速さが武器の私に合ってるのではないか・・・と提案され、セレクション(入団試験)を受けました。
※小川原選手は2017年にNECに入団、チームは1年目2部リーグ、2年目1部リーグに昇格。
チーム内で過ごした「年数・経験値」の差は埋められませんが、年齢からくる「責任感」は意識するようにしていました。
「最後はハートの勝負」
大学時代までは深く考えずにソフトボールに向き合い、ひたすらに技術を磨きました。しかし、NECに所属してからは、各方面で技術を磨いてきた選手たちに出会い、色々なことを考えさせられました。そんな時、父親に「技術もあるけど最終的には気持ちだからな」と言われたのが心に残っています。
NEC入団1年目(2017年)、チームが2部リーグから1部リーグに昇格できるかどうかという試合(対 日本精工 現:西地区1部リーグ)に、スタメンではありませんでしたが、大事な場面で守備(外野手)として出してもらいました。同点になる場面で打球をバックホームでアウトにし、結果的にチームの勝利に繋がりました。それもあって入団2年目はチームが1部リーグに昇格することができました。
あのタイミングで出番を頂き、入団1年目の緊張もある中で、チームに貢献できたことが印象に残っています。
NEC入団4年目(2020年)の開幕1~2週間前にデッドボールであばら骨を骨折し、2か月間戦線離脱したことです。4年目で経験も年齢も上の方・・・、結果を出さないといけないという焦りなど様々な気持ちがあるタイミングでの骨折・・・。泣いて監督に報告し、「怪我を防げたのでは?」と悔しさいっぱいで自問自答しましたのを憶えています。
怪我直後は相当落ち込みますが、私はあまり引きずるタイプではないので、ベンチで出来ることを最大限にすることで気持ちを保ちました。
私の持ち味は「守備」ですが、走攻守をオールラウンドにこなせるように意識しています。
試合前のバス移動中には、音楽を聴いています。最近必ず聞くのは「HIDE春」の「ぷろぽーず」という曲です。その時期に気に入った曲を聴くのですが、基本ゆったりした曲、バラード系を好んで聞いています。
グラウンド内ではチームメイトと多くは関わらず、自分の世界に入る、自分の世界を作ることでしょうか。一人で離れてバットを振ったりしています。
学生時代は会費や部費などを払い、自由に取り組んでいた気がします。また、学生は在学期間などの期限があるので、終わりも見えて計画も立てやすく、毎年目標を掲げてそれを達成できるよう取り組んできました。
一方、社会人リーグの今はお給料を頂いています。NECでは、午前は仕事を行い、午後はソフトボールに取り組んでいます。チームによっては1日仕事をしてから練習するところもあると聞いています。仕事とソフトボールを日中に両立させていただきお給料を頂いている・・・という意識が強いです。また、社会人には期限がありませんので、自分で期限を決め鍛練し、結果を求められます。シーズンオフに監督と来シーズンの現役継続について話し合いますが、結果が出なければ戦力外になることもあります。
ソフトボールの練習・試合では厳しめの私ですが、ソフトボールから離れると厳しめスイッチをオフにします。プライベートやソフトボール以外では隙ができるので、後輩からいじられたりしています。
何を続ければいいのかについては、実家にいた頃は父親がアドバイスしてくれましたが、社会人になってからは全部自分で考えないと生きていけない世界です。チームメイトとは常に一緒にいるので、誰がどんなことをやっているか目の当たりにするので刺激になります。自分がやれば自分に返ってくるのはもちろん、その姿をチームメイトに見せることで互いに高めあうことができます。ひたむきな姿勢を見せることで信頼を得られることもあります。
最近意識して続けていることは、遠征先で、次戦うピッチャーの動画を見てイメージしながら素振りをしています。どのタイミングでバットを振りだすか、どの球にどうバットを出してどう打つか。どう飛んでどうヒットになるか。イメージをすることで実戦での安心につながります。
私は現在26歳、チーム所属5年目で最年長になりました。年齢が下の子には「絶対負けないからな!」と自分が頑張るためにも下の子を鼓舞する意味で言葉をかけています。
チームとしてはJD.LEAGUE東地区1部リーグで上位に入ること、それに向けたチーム作りをすること。個人としてはベスト9を取ることです。
両親です。
母親はスポーツ(テニス)経験もあり、「食事と体づくり」を考えてくれます。実家暮らしだった大学時代まで食事面で支えてくれました。母親は一流のアスリートが何を食べているかなど自分なりにいろいろ調べてくれました。それは今でも続いています。そこまで考えてくれる親はなかなかいないと思います。
また、父親は、私が学生の間、ずっと自主練習に付き合ってくれました。時折面倒な時もあり、しょっちゅう喧嘩もしました。当時、練習がどれくらい身についているか分かりませんでしたが、自信には繋がったと思います。正直辛かったけど、今に生きています。私自身も大変でしたが、父親も仕事を終えて疲れていても毎日付き合ってくれました。社会人になって改めて苦労が分かりました。
母親は未だに体のことを気にして、一人暮らしをしている私に、食事を冷凍して送ってくれますし、両親とも試合の応援に来てくれます。
どんなことでも何か1つでも、自信に繋がりそうなことを見つけて、それをやり続けること。続けることは大変なことだけど、いつか自分に返ってきます。
私も学生時代は、父親が手首を鍛えるトレーニング方法を調べてくれて、それをずっと続けていました。小さなことでも毎日やってみてください。私も今でも、「これだけはやる」「この回数はやる」という「継続」という「自信」を積み重ねて頑張っています。
NECは静岡を拠点として活動しているので、プレーしているところを見せられる機会は少ないですが、杉戸町出身の私でも継続を力にして全国の1部リーグで戦っています。是非、試合などを見に来てくれたら嬉しいです。また、実際に会場に来られなくても動画配信やライブ中継などを通じて、少しでもご覧いただければと思います。これからも頑張りますので、引き続き応援よろしくお願いします。
(2022年6月 役場にて)
人生の半分をソフトボールに打ち込んできた小川原選手。両親との3人4脚で歩んだ日々は、今の自分を形作る大切な要素になっています。社会人になって改めて感じる親の苦労、そして感謝の気持ちを再確認した姿が印象的でした。今後の小川原選手のご活躍を期待するとともに、誰かにとっての道標として、煌めき続けることを願っています。杉戸町はこれからも「煌めく人」を応援します!